旧暦の10月は「神無月」と呼ばれています。
「神様がいなくなる月」と書きますが、本当に10月は神様がいなくなってしまうのでしょうか。
神様がいないから、お参りに行っても意味がない?
神様のいない10月は、どうやって過ごしたら?
このような疑問が、次々とわいてくるかもしれませんね。
今回は、「神無月」の意味、そして、お参りも含めた神無月の過ごし方について、お教えいたします。
なぜ神無月と言われるのか
旧暦の10月は、なぜ「神無月」と呼ばれるのでしょう。秋山眞人先生に聞いてみましたよ。
秋山先生によると、
10月は、大自然のエネルギーが大きく切り替わる「区切りの時期」なのだそうです。
パソコンやスマホにたとえると「再起動」のようなもの。再起動させると、一瞬、電源が落ち、真っ暗な画面になり、その後で立ち上がっていきますよね。自然界も、そのような感じになるのだそうです。
昔の人は、自然界のエネルギーの切り替わりのタイミングで、神様がいなくなるような体感を持ったため、「神無月」という名前をつけたのだといいます。
出雲だけは神在月
大自然のエネルギーの切り替わりを、パソコンやスマホの再起動にたとえました。電源が落ち、真っ暗な画面になった後、立ち上がっていきますが、すぐに画面全体が明るくならず、メーカーのロゴマークなんかが、まず小さく画面に現れます。
自然界も同様で、切り替わった後、いきなり全体が活性化していくのではなく、まず最初に活性化する地域があるのだそうです。
昔の人は、その地域に「イズ」という発音を与えました。代表が「出雲(イズモ)」だといいます。
他の場所のエネルギーは動いていないのに、出雲は、自然界のエネルギーが動き出しているので、出雲だけは神様がいると体感した昔の人が、出雲の10月を、他と区別して「神在月」と呼んだのだそうです。
出雲以外でも、「イズ」という発音を持った地域は、そのような場所だといいます。たとえば、静岡県の「伊豆(イズ)」もそうです。
「イズ」の音を地名に持つ場所に出かけてみると、切り替わったばかりの大自然のみずみずしいエネルギーを得られ、運気アップに役立つとのこと。出かけてみましょう。
秋山先生によると、出雲はみんなで出かけ、静岡県の伊豆は一人で出かけると、いっそうパワーをもらえるよとのことでした。
お参りするなら
「イズ」という音を地名に持つ場所が近くにない場合は、
オオクニヌシ、スサノオ、大黒様が祀られているところに出かけてみましょう。
そこでも、切り替わったばかりの、大自然のフレッシュなエネルギーが得られますよ。
このタイミングで、大自然の新しいエネルギーをたっぷり吸収しておくと、年末にかけて、そして、年が明けてからも、健やかで幸せに過ごしていけるそうです。
以上のことを、どうぞ、参考に10月をお過ごしくださいね。