4月13日は「決闘の日」に制定されています。それは、4月13日に「巌流島の戦い」があったからです。
今回は、巌流島の戦いも含め、「決闘」についてのウンチクをあれこれお教えいたします。
そして最後には、あなたにとっておすすめの「決闘」についても、ご紹介いたしますよ。
「巌流島の戦い」とは
巌流島は、瀬戸内海の関門海峡にある小さな島です。今は、山口県下関市に属しています。
正式名は「船島(ふなしま)」といい、かつては、その名前の通り、船のように細長い小さな島でした。しかし、埋め立てが進んで、現在は、東京ドーム2個分の大きさ(かつての約5倍)になっています。
この巌流島で、1612年(江戸時代)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したことにちなみ、4月13日が「決闘の日」に制定されました。
どちらも、一度も負けたことがない剣術の達人であり、王座決定戦のおもむきで、二人は巌流島で対決することになります。
宮本武蔵は、わざと開始時間に遅れて佐々木小次郎をイラつかせたり、あえて木刀を使うなどの意表を突いた心理戦も駆使し、佐々木小次郎に勝利したと伝えられています。
この「巌流島の戦い」は、歴史小説などの影響で広く知られるようになりましたが、しっかりとした史料がないため、史実についての詳しいことはわかっていません。
名誉を守るための戦いが「決闘」
「決闘」は、中世以降のヨーロッパ、特に、フランスで盛んでした。
当時の「決闘」は、単なる「ケンカ」ではなく、「神の前で行う、自分の名誉を守るための神聖な戦い」という意味合いがありました。
そのため、決闘についてのルールもあり、戦いといっても、野蛮さはなく、貴族的な優雅さが漂っていたそうです。
武器も殺傷力の低い、それほど鋭くない剣や、命中率の低い銃が使われ、相手の命を奪うことより、決闘の場に出てくる勇気と、名誉を回復させたいという気概をまわりにアピールすることが主眼でした。相手をちょっと傷つけたところで勝敗がつけられたので、決闘での死亡率は意外にも低く、10%程度だったといいます。仮に、決闘でどちらかが命を落としたとしても、決闘は神前での行為なので、神の裁きと考えられていたそうです。
しかし、その後、決闘は一対一の優雅な戦いではなく、それぞれの取り巻きも参加するようになって、集団闘争の様相を呈するようになり、殺伐としたものになってきました。
死者も増大してきたために、決闘の風習は自然消滅するようになっていきます。
おすすめの決闘は?
4月13日の前後、「決闘の日」にちなんで、あなたも決闘をしてみてはどうでしょう。
もちろん、「武器を取って、宿敵との果し合いをしましょう」ということではありませんよ。
あなたがやるべきは、「あなた自身」との決闘です。
まずは「決闘」の原点に立ち返ってみましょう。「神の前で行う、自分の名誉を守るための神聖な戦い」でしたね。
その戦いをしてみるといいですよ。たとえば、怠惰な自分、素直に優しさを外に表せない自分、やりたいことができずにいる自分……など、自分が許せないと感じている「もう一人の自分」との決闘です。あなたの名誉を守るため、あなたの理想を妨げる「自分自身」と戦ってみるのはどうでしょう。
最初から強敵を狙うのではなく、まずは、やっつけられそうな敵に焦点を絞り、「今日だけは負けないぞ」という意気込みで過ごしてみるといいです。
「決闘の日」が、自分を変えるきっかけを与えてくれますよ。